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第37回碁界の礎百人―大橋本から小橋本へ【橋本昌二 山部俊郎】

 関西棋院の総帥=橋本宇太郎が偉大な存在であるのはいうまでもないが、関西棋院独立後の数年は橋本による個人棋院の印象が免れなかった。しかし10年近くを経てようやく次代を担う若手が現れた。大橋本の橋本宇太郎に対して小橋本と呼ばれる橋本昌二(1935―2009)である。橋本の昇段スピードは目を見張る。12歳で入段すると、関西棋院独立の16歳のときは四段。以後関西棋院の大手合で毎年のように昇段し、23歳で九段に。これは最年少九段の新記録である。
 橋本の名を全国に知らしめたのが昭和34年の第7期王座戦だった。王座戦は関西棋院勢の活躍が目立つ。第1期、3期、4期と橋本宇太郎が制し、5期、6期は敗れたとはいえ半田道玄が決勝に進んでいる。なおこの時代の王座戦は挑戦手合制ではなく、トーナメントを勝ち上がった同士による決勝でチャンピオンを決めるシステムだった。

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