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第64回碁界の礎百人―名人戦騒動の中で【大竹英雄②石田芳夫⑥】

 昭和49年12月から翌50年12月までの一年間は、日本棋院が名人戦騒動(問題あるいは事件といってもいい)で揺れ動いた。日本棋院理事会が読売新聞社に、名人戦契約を第14期をもって打ち切ると通告したのがことの発端である。数年間にわたって日本棋院が契約金の増額を要求したものの読売が応じず、無契約状態だったというのがその理由。日本棋院は第15期以降の名人戦について朝日新聞社と仮契約を結ぶ。読売は反発し、朝日を上回る契約金を逆提示する。このあとの動きは複雑怪奇。日本棋院理事会は一切の解決を田実渉総裁に一任したはずなのに田実調停案が出ると、棋士総会は全会一致でそれを否決する。さらに読売は日本棋院に対して名人戦の他紙への掲載を禁ずる仮処分を東京地方裁判所に申請し、騒動はドロ沼に。こうした中で行われたのが石田芳夫名人に大竹英雄が挑む第14期名人戦七番勝負である。

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