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第22回碁界の礎百人―原爆下の本因坊戦【橋本宇太郎①岩本薫①】

 戦争終結が近づくにつれ、各新聞の囲碁欄が消え、手合も行われなくなった。決定的だったのは昭和20年5月25日の東京大空襲による日本棋院会館消失だった。それでも本因坊戦だけは発表の場もない中で、細々と続けられたのは特筆されていい。第3期本因坊戦は挑戦者に岩本薫が名乗りを上げた。対局場をどうするか。焼野原の東京は無理。広島出身の瀬越憲作が郷里に働きかけ、日本棋院支部長の藤井順一宅で打つことが決まった。第1局、広島市内は空襲警報が鳴り、米軍艦載機の機銃掃射を浴びながら、誰も防空壕に避難しようとせずに打ち終えた。
 そして第2局。広島県警本部から市内で打つことはまかりならぬとの命令で、郊外の五日市町(現在は広島市佐伯区)に移して行われた。3日目が始まろうとした午前8時すぎ、閃光が走り、轟音と爆風に見舞われた。原子爆弾である。五日市は直接の被害は免れたものの、市内にいた藤井や瀬越の三男は帰らぬ人となった。

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