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第15回碁界の礎百人―棋士として名伯楽として【久保松勝喜代 呉清源③】

 昭和前半の碁界を語るうえで欠かせないのが久保松勝喜代(1894―1941)である。神戸から上京して方円社の手合に参加し、六段に昇ったのは日本棋院創立直前の大正13年(1924)30歳のとき。その前から大阪と神戸に道場を開き、多くの若手棋士を育てた。しかしそれらを手元に置かず、惜しげもなく東京へ送り込んだ。村島義勝と前田陳爾を本因坊秀哉門に、橋本宇太郎を方円社の瀬越門に、木谷實を方円社の鈴木門に。関西に定住した染谷一雄、刈谷啓、瀬川良雄、窪内秀知、鯛中新らは夭逝した田中不二男を除いて、やがて関西碁界の中心となっていく。久保松こそ名伯楽である。
 盤上の久保松はどうだったのか。昭和3年、34歳六段のときに上京し、大手合に参加。春秋の4ヵ月だけ東京に滞在するという生活である。寄宿先は懇意にしていた相撲の二所関部屋。変な新弟子が入門したと奇異の目で見られたという。大手合は苦闘の連続だった。

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