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第24回碁界の礎百人―呉清源、十番碁で復活【呉清源⑥橋本宇太郎③】

 昭和17年(1942)9月、木谷實とともに当時の最高段の八段に昇った呉清源は不調に見舞われる。17年後期から19年前期までの大手合は、白番が多くなったためか、11戦してわずか3勝。17年12月から19年9月にかけての藤沢庫之助との第1次十番碁(藤沢定先)は、後半に負けが続いた呉の4勝6敗。そして19年秋にはすべての対局から遠ざかる。
 引退にも等しい状況で、呉は新興宗教の璽宇(じう)に入信し、教主の璽光尊について各地を転々とする生活。戦後は名横綱双葉山と呉らの宗教活動が新聞を賑わせ、呉の碁界復帰は絶望と見られた。しかし21年8月、読売新聞は社告で呉の復帰を発表した。璽宇の資金調達のためらしい。こうして始まったのが呉―橋本の打込み十番碁である。1日打切り、持時間各7時間は当時として画期的だった。第1局は呉の完敗。2年近く碁から遠ざかっていた影響だろう。

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