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第26回碁界の礎百人―関西棋院独立と本因坊戦【橋本宇太郎④坂田栄男②】

 昭和23年(1948)5月、日本棋院関西本部は関西棋院と改称し、法人格を取得した。ただし分裂したわけではなく、関西棋院はあくまでも日本棋院傘下であった。それから関西棋院の独立問題はくすぶり続け、25年に橋本宇太郎が岩本薫を破って第5期本因坊に就いたころから表面化していく。その就位式で津島寿一日本棋院理事長が「本因坊戦は第6期から1期1年制とする」と発言したことでのっぴきならなくなる。1期1年制は正論だが、橋本らに根回ししなかったため、関西棋院独立派の神経を逆なでして、対立は修復不能に。同年9月、関西棋院は評議員会を開き、橋本を中心とする独立派が強引な評決で、協調派の光原伊太郎、細川千仭、瀬川良雄らを破って、完全独立を果たす。以後、関西碁界は関西棋院と日本棋院関西総本部が両立して現在に至っている。

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