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第14回碁界の礎百人―本因坊秀哉の引退と死【本因坊秀哉④木谷實②】

 昭和12年(1937)初め、本因坊秀哉は引退を表明。本因坊の名跡を東京日日新聞と大阪毎日新聞(のちに合同して毎日新聞となる)に譲渡し、さらにそれを新聞社側が日本棋院に再譲渡して本因坊戦が始まることになる。
 同時に秀哉の引退碁の相手を決める予選が始まった。まず六段陣9名によるトーナメントが2回行われ、前田陳爾と久保松勝喜代が勝ち抜き、七段陣の鈴木為次郎、瀬越憲作、加藤信、木谷實と合わせて6名によるリーグ戦が実施された。この結果、5勝全勝の木谷が秀哉の相手と決まったのである。秀哉64歳、木谷29歳。持時間各40時間、中4日の休みをとって打ち継ぎ、手番の者が封じ手をするという取り決め。途中に秀哉の病気で3ヵ月の中止があり、合計15日間の大がかりな対局だった。

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