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努力と工夫、積み重ねの軌跡【藤澤一就八段特別インタビュー・前編】

 今回は有望な棋士を輩出し続ける藤澤一就八段に、子供に囲碁を教えるコツや強くなる秘訣、囲碁普及など幅広くインタビューで答えて頂いた。3日間連続で記事を公開します。前編は「藤澤八段の歩みから、子供を小さい頃から育てる強み」をまとめました。

藤澤一就八段プロフィール
昭和39年(1964年)8月12日生。東京都出身。新宿こども囲碁教室の代表。
昭和56年入段、平成11年八段。日本棋院東京本院所属。
藤沢秀行名誉棋聖は実父、藤沢里菜七段は実娘。門下に関航太郎九段本木克弥八段沼舘沙輝哉七段広瀬優一七段寺山怜六段上野愛咲美五段木部夏生三段青木裕孝三段藤井浩貴二段竹下凌矢二段飛田早紀二段河原裕二段上野梨紗二段、柳井一真さん(令和6年度冬季棋士採用試験1位)、竹下奈那さん(令和6年度女流特別採用)。


棋士への道のり

プロに入るまでの軌跡を語る藤澤八段

 藤澤八段は小学1年生に碁会所に通うも、1度は囲碁から離れ、そろばんや進学塾に通う。小学6年生の頃、藤沢秀行名誉棋聖に『プロにならないか?』と言われて強制再開。ただ、その頃は10級ぐらいだったそうだ。やがて、院生に入り『プロになるんだ』という意識が芽生え始める。ただ、院生に入った頃、思ったより大変だったという。

 ――当時、院生に入っていかがでしたか?
 「今みたいに子供教室がなく、碁会所で打っていました。当時二段ぐらいで昔の日本棋院の院生はハンデ制(3子まで)。スタートが遅かったので仕方ないですが、院生に入って自分より年下の人に3子置いたんですよ。カルチャーショックでしたね」

 ――プロ試験の数ヵ月前、院生上位10位以内に入り、真剣にプロへの意識が芽生えたと伺いました。
 「当時、試験が1年に1度しかありません。これを逃すと丸々1年、どうするんだろうと思い、必死に頑張りました。友達に合わない、日本棋院に行かない。行って会うと『ボーリングに行こう』とかになるので」

手書きで書かれた昔の棋譜。当時は原本をコピーして棋譜並べを行うしかなかった

 ――1日の勉強量は?
 「基本的に、散歩と囲碁、読書で特別なことはしていません。10時間とかはとてもやっていないと思います。ただ、当時は棋譜並べと詰碁ぐらいしか勉強方法がなくて大変ですよ。特に棋譜並べは。昔の棋譜は、白黒の手書きの棋譜で1枚に300手近く書かれたものもあります。それをコピーして並べる、子供には苦行です。今はパソコンなどで棋譜再生ができますから、楽になりましたね」

 ――当時16歳、プロ試験を1回で通過しました。
 「本当に運が良かったです。とにかく必死でした。散歩の時、常に詰碁を考えていました。最初は6連勝し、その後1局負けて『連敗は絶対にしちゃだめだ』という強い意識をもっていたのを覚えています」

 ――試験を通過した後、藤沢名誉棋聖から何か声をかけられましたか?
 「『良かったな。お祝い何がいい?』と聞かれ『時計は?万年筆は?』と言われて、いらないと言ったら碁盤を頂きました」

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