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第81回碁界の礎百人―藤沢秀行無念、応氏杯決勝進出ならず【藤沢秀行⑩聶衛平①】

 昭和63年(1988)は二つの世界選手権の発足が話題となった。一つは日本が主催する世界選手権・富士通杯。もう一つは台湾の実業家、応昌期氏がスポンサーの応昌期杯プロ選手権(略して応氏杯)である。
 世界選手権・富士通杯は第1、2期と武宮正樹が林海峰を破って優勝。第3期は林海峰、4期は趙治勲、5期は大竹英雄と日本勢が断然強みを発揮した。4年に一回開催される応氏杯は、優勝賞金40万ドル(現在の為替レートで約6千万円)と高額で注目された。コミの8点(日本ルールでは7目半に相当)も独特だった。1、2回戦は中国北京で、準決勝三番勝負は韓国ソウルで、決勝五番勝負はシンガポールで行われた。そのトーナメント表は下記のとおり。

 ここでは準決勝の藤沢秀行―聶衛平(中国)戦第1局を紹介しよう。藤沢は63歳。リンパ癌が寛解して1年後である。「聶さんに簡単に勝てるとは思わないが、負けるつもりはない」と気合満点だった。

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