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第75回碁界の礎百人―本田三姉妹の活躍【杉内寿子①本田幸子①】

 今回は女流碁界の話を。女流初の棋戦の女流選手権戦ができたのは昭和27年(1952)。その第1期を制したのがベテランの伊藤友恵(1907-1987)である。挑戦手合三番勝負となった第2期は若手の本田寿子(としこ、1927-)が伊藤を降してタイトルホルダーに。以降、本田寿子は4連覇を果たし、1強時代を築くかに見えた。しかし本田寿子の名は女流碁界から消える。杉内雅男(1920-2017)との結婚に続き、出産と育児に追われ、10年以上の手合休場を余儀なくされたからである。代わって女流碁界のトップを争ったのは、伊藤友恵、木谷禮子、本田幸子(1930-2020)、楠輝子(のち光子と改名、1939-)、そして若手の小川誠子、小林千寿らだった。

姉妹対決となった第5期女流鶴聖戦決勝

 本田三姉妹について少々。長女の寿子は女流碁界の母といわれる喜多文子門下。次女幸子と三女の輝子は木谷實門下。三人とも棋士にしようというのだから、父君はすごい。三人の成長に合わせて、居を静岡から神奈川に、さらに東京へと移したのも特筆されていい。昭和版の孟母三遷といえようか。
姉妹で女流トップを争うケースもしばしば。女流選手権戦が女流本因坊戦へと発展し、その第2期から4期までの3年間は幸子―輝子の間でタイトルが行ったり来たり。昭和58年の女流鶴聖戦決勝では寿子―幸子戦が実現した。その一局を紹介しよう。

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