第40回碁界の礎百人―名人戦始まる【藤沢秀行③呉清源⑨】
昭和35年(1960)、日米安全保障条約に反対する闘争が激化する一方で、碁界も名人戦創設をめぐって大きく動く。その中心にいたのが、日本棋院渉外担当理事の藤沢秀行だった。藤沢は朝日新聞に名人戦の企画を持ちかけたが、話がまとまらず、交渉の相手を読売新聞に変えた。これもすんなりと決まったわけではない。山田虎吉(覆面子)による新聞社幹部への説得がなかったら名人戦は陽の目を見なかったに違いない。
同年10月の棋士総会で70対4の圧倒的多数で名人戦創設が決まった。第1期は13名でリーグを争い、最優秀者を名人とする規定。13人の顔ぶれは呉清源、高川格、藤沢秀行、藤沢朋斎、坂田栄男、木谷實、杉内雅男、宮下秀洋、島村俊宏、橋本宇太郎、橋本昌二、半田道玄、岩田正男(のち達明と改名)。九段が原則だが、藤沢秀行は八段ながら、当時最高位にあり、九段より上席が与えられた。岩田は七段だったが、最強戦リーグの活躍が認められたもの。
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