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第9回碁界の礎百人―東西両横綱の激突【鈴木為次郎②瀬越憲作②】

 日本棋院創立で最も割を食ったのは鈴木為次郎と瀬越憲作かもしれない。鈴木が先で本因坊秀哉に2局の勝ち越し、瀬越は1局の勝ち越しがあり、それぞれ先相先に迫ろうとしていたのに、個人同士の四番手直り制が廃止され、段位による手合割に移行した。そのため、六段の鈴木と瀬越は秀哉名人に先二先の手合になったからである。すぐ七段に昇ったものの、一線を退く形になった秀哉と対局する機会はなくなってしまった。
 昭和2年(1927)日本棋院は東西対抗戦方式で大手合をスタートさせた。審判役は本因坊秀哉、中川亀三郎八段、岩佐銈七段、喜多文子五段ら。東軍甲組は鈴木為次郎七段、宮坂寀二六段、福田正義五段、向井一男四段、村島義勝四段、木谷實四段、前田陳爾三段。西軍甲組は瀬越憲作七段、加藤信六段、岩本薫六段、小杉丁四段、長谷川章四段、篠原正美四段、橋本宇太郎四段、井上一郎三段。四段以下の低段者を甲組乙組に分けたのは当時の成績による。

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