第27回碁界の礎百人―藤沢非運の十番碁【呉清源⑦藤沢庫之助②】
藤沢庫之助は昭和24年(1949)6月、圧倒的な成績で大手合制度初の九段に昇った。同時に、なぜ呉清源を九段にしないのかという声が日本棋院の内外から起こった。当時の呉は、橋本宇太郎、岩本薫と十番碁を戦い、いずれも先相先、つまり一段差に打ち込んでいた。確かに呉は九段の地位にふさわしい。そこで日本棋院は25年2月、呉に九段を贈った。
九段が二人なら、どちらが強いかを見たいのは当然だろう。読売新聞が両者の十番碁を企画したのも当然の成行きだった。しかし読売と藤沢の感情的なもつれによって、なかなか実現しない。読売が紙上で「なぜか藤沢庫之助九段が十番碁に参戦しない」と書けば、藤沢は『棋道』で「私はいつでも立つ」と反論。また「いづれが非礼か」「非礼は読売にある」などのやりとりもあった。
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