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第11回碁界の礎百人―秀哉名人最後の勝負碁【本因坊秀哉③呉清源①】

 昭和碁界に偉大な足跡を残した呉清源(本名は泉=せん、清源は成人後につけた字=あざな)は1914年、中華民国福建省に生まれ、10歳のころ父から碁を教えられたという。その後はまったく独学で、日本に留学経験のある父が持ち帰った棋書、『囲棋新報』(方円社発行の月刊誌)の合本、『敲玉余韻』(本因坊秀策の打碁100局を収める)など数十冊を繰り返し並べるのが唯一の勉強法だった。
 12歳のとき、北京を訪れた岩本薫六段と三子で打って2連勝、二子で負け。その翌年、井上孝平五段には先で1勝1敗。北京在住の古美術商の山崎有氏がそれらの棋譜を瀬越憲作七段に送ったところ、瀬越は呉の才能を高く評価し、大倉喜七郎や愛棋家の犬養毅(代議士、のち総理大臣、5・15事件で暗殺)に日本に呼ぶことを依頼し、昭和3年(1928)来日が実現したのである。

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