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第12回碁界の礎百人―新布石ブームとその後【呉清源②田中不二男】

 木谷實と呉清源による新布石は、昭和8年(1933)夏、両者の信州地獄谷温泉での共同研究で始まったといわれる。確かにそのとおりだが、昭和6年から二人に星打ちがふえ、呉は早くも三々を試みている。そして決定的だったのが前回紹介した本因坊秀哉―呉清源戦である。呉の三々、星、天元は棋士だけでなく、多くのアマチュアにも衝撃を与えた。秀哉―呉戦とほぼ同時進行の昭和8年秋季大手合で呉が一等、木谷が二等になったことも新布石ブームに拍車を掛けた。翌年、木谷・呉・安永一共著の『囲碁革命・新布石法』(平凡社)が刊行され、10万部のベストセラーになった。
 新布石はたちまち碁界を席巻し、倣う棋士が続々と現れた。その中から次代を担う若手と注目された田中不二男を紹介しよう。神戸を本拠とする田中は春と秋の大手合の期間だけ東京に居住して対局した。田中の名はウルトラ新布石で知られるようになる。

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