第17回碁界の礎百人―鎌倉十番碁、明と暗【木谷實③呉清源④】
打ち込み制の争碁や番碁は江戸時代からあった。遠島(流罪)を賭けた二世安井算知と本因坊道悦の六十番碁(実際は二十番で終了)、名人碁所願いを提出した井上因碩(幻庵)に本因坊秀和が異議をとなえて始まった十番碁(一局だけで因碩が願いを取り下げた)、本因坊秀策と太田雄蔵の三十番碁(二十三局で終了)……。明治以降は六番手直りが四番手直りに変わり、十番碁が主流に。田村保寿(のちの本因坊秀哉)が石井千治(二代目中川亀三郎)を互先から先二に打ち込んだ三回の十番碁。そして昭和の大争碁と喧伝された木谷實―呉清源の十番碁へと続く。
この十番碁は全九局を鎌倉の寺社で打たれたことから鎌倉十番碁といわれる。コミなし、持時間は各13時間、3日制で打ち切る取り決めだった。天下注目の十番碁。しかし木谷は悲運続きだった。
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