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日本棋院創立100周年連載『碁界の礎百人』~まとめ

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今年7月に大きな節目となる日本棋院が創立100周年を迎えるにあたり、。今日までの日本棋院、そして囲碁界100年の足跡を振り返った連載をまとめました。 (※注1)アーカイブ第67…
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#橋本宇太郎

第44回碁界の礎百人―第1期十段に橋本宇太郎【橋本宇太郎⑦半田道玄】

 昭和36年(1961)から新棋戦の誕生が相次いだ。名人戦しかり、37年開始の十段戦(産経新聞)…

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第31回碁界の礎百人―王座戦始まる【橋本宇太郎⑥前田陳爾】

 戦後の混乱が落ちつきつつあった昭和20年代後半、相次いで新棋戦が誕生した。主なものだけを…

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第28回碁界の礎百人―本因坊9連覇のスタート【高川格①橋本宇太郎⑤】

 関西棋院独立騒動の余波が収まりきらない昭和26年、本因坊戦で橋本宇太郎が大逆転で坂田栄男…

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第26回碁界の礎百人―関西棋院独立と本因坊戦【橋本宇太郎④坂田栄男②】

 昭和23年(1948)5月、日本棋院関西本部は関西棋院と改称し、法人格を取得した。ただし分裂…

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第24回碁界の礎百人―呉清源、十番碁で復活【呉清源⑥橋本宇太郎③】

 昭和17年(1942)9月、木谷實とともに当時の最高段の八段に昇った呉清源は不調に見舞われる…

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第23回碁界の礎百人―高野山の決戦【橋本宇太郎②岩本薫②】

 第3期本因坊戦六番勝負は、原爆の洗礼を浴びた第2局の3ヵ月後、千葉や東京の個人邸で打ち…

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第22回碁界の礎百人―原爆下の本因坊戦【橋本宇太郎①岩本薫①】

 戦争終結が近づくにつれ、各新聞の囲碁欄が消え、手合も行われなくなった。決定的だったのは昭和20年5月25日の東京大空襲による日本棋院会館消失だった。それでも本因坊戦だけは発表の場もない中で、細々と続けられたのは特筆されていい。第3期本因坊戦は挑戦者に岩本薫が名乗りを上げた。対局場をどうするか。焼野原の東京は無理。広島出身の瀬越憲作が郷里に働きかけ、日本棋院支部長の藤井順一宅で打つことが決まった。第1局、広島市内は空襲警報が鳴り、米軍艦載機の機銃掃射を浴びながら、誰も防空壕に

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