マガジンのカバー画像

日本棋院創立100周年連載『碁界の礎百人』~まとめ

102
今年7月に大きな節目となる日本棋院が創立100周年を迎えるにあたり、。今日までの日本棋院、そして囲碁界100年の足跡を振り返った連載をまとめました。 (※注1)アーカイブ第67…
運営しているクリエイター

#坂田栄男

第63回碁界の礎百人―石田、苦闘の本因坊戦5連覇【石田芳夫⑤坂田栄男⑱】

 昭和49年(1974)、石田芳夫は名人戦挑戦手合で林海峰を破り、坂田栄男、林に次ぐ史上三人目…

110

第62回碁界の礎百人―坂田、2年連続2連敗3連勝【坂田栄男⑰趙治勲①】

 昭和50年、22期続いた日本棋院選手権戦は天元戦に移行するため終了した。日本棋院選手権の最…

110

第60回碁界の礎百人―高木、タイトルに届かず【高木祥一 坂田栄男⑯】

 昭和40年代後半、タイトル戦線を賑わせたのは林海峰を筆頭に、大竹英雄、石田芳夫の若手陣、…

110

第55回碁界の礎百人―大竹、タイトル戦線へ【坂田栄男⑮大竹英雄①】

 林海峰といえば大竹英雄。少年時代から〝チクリン〟と呼ばれ、次代の大成を期待された二人だ…

110

第54回碁界の礎百人―人気のアマ・プロ十傑戦【坂田栄男⑭村上文祥】

 昭和40年代の囲碁人気の高さを見せつけたのがアマ・プロ十傑戦ではないか。会場の東京・新宿…

110

第51回碁界の礎百人―坂田、林を破って本因坊7連覇【坂田栄男⑬林海峰③】

 昭和40年代の前半(1965~)は坂田栄男と林海峰がトップを激しく争った時期だった。  両者…

110

第50回碁界の礎百人―坂田の牙城に迫る大平【坂田栄男⑫大平修三①】

 23歳の名人誕生に最も刺激を受けたのが昭和ひとけた世代の大平修三(1930 ―1998)ではなかったか。この世代に人材が乏しいのは、少年時代に戦争の影響を受けたからだろう。大平は11歳で木谷實の内弟子となったものの、14歳から15歳にかけて木谷家のあった神奈川県平塚は毎日のように空襲警報が鳴り、そのたびに防空壕に入る始末。このままでは危ないというので郷里の岐阜に帰されたが、岐阜も焼野原。大平少年は栄養失調が原因の皮膚病に悩まされた。それでも17歳で入段すると、昭和38年に昭

¥110

第49回碁界の礎百人―23歳の名人誕生【坂田栄男⑪林海峰②】

 昭和40年(1965)は囲碁史の大きな転換点だった。それが端的に現れたのが第4期名人戦である…

110

第48回碁界の礎百人―坂田七冠、驚異の30勝2敗【坂田栄男⑩梶原武雄①】

 昭和39年(1964)、坂田栄男は絶頂に登りつめる。その軌跡を順に追ってみよう。 1月 日本…

110

第47回碁界の礎百人―プロ十傑戦始まる【坂田栄男⑨高川格⑥】

 昭和36年、大手合および最高位戦の契約を日本棋院と打ち切った朝日新聞は、囲碁欄を三つの柱…

110

第46回碁界の礎百人―坂田、藤沢との死闘を制す【坂田栄男⑧藤沢秀行⑤】

 第1期名人の藤沢秀行への挑戦者を決める第2期名人戦リーグは、最終戦で坂田栄男が呉清源に…

110

第43回碁界の礎百人―第1期名人戦、劇的決着【呉清源⑩坂田栄男⑦】

 第1期の名人を決めるリーグ戦は、名人戦成立に尽力した藤沢秀行が中盤から独走し、追い込ん…

110

第42回碁界の礎百人―名人位を巡る坂田・藤沢の激突【坂田栄男⑥藤沢秀行④】

 初代名人に誰が就くか。読売新聞社や『棋道』の予想投票も一般的な下馬評も呉清源と坂田栄男…

110

第41回碁界の礎百人―坂田、高川本因坊の10連覇阻止【高川格⑤坂田栄男⑤】

 第6期本因坊戦(昭和26年)で橋本宇太郎に敗れてからの坂田は、なぜか本因坊戦に縁が薄かった。毎年のように挑戦者争いの本命視されながら、リーグは2位が多く、挑戦者になれない。「こうなったら区切りのいい高川さんの10期目に挑戦します」と語ったとか。そのことばどおり、昭和36年、本因坊10連覇をめざす高川への挑戦権を獲得した。坂田たちまち3連勝。第4局で高川に敗れたあとの第5局をご覧いただこう。

¥110