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『棋道web』週間マガジン(12月30日~)

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1週間分の棋戦情報や上達に役立つ講座を始め、コラムなどがまとめてあります。週10記事以上、更新します。
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#碁界の礎百人

第7回碁界の礎百人―〝女流碁界の母〟喜多文子【喜多文子】

 明治から大正、昭和初期に活躍し、〝女流碁界の母〟と呼ばれた喜多文子は、明治8年(1875)…

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第6回碁界の礎百人―硬骨漢野沢、十番碁に斃(たお)れる【野沢竹朝】

 明治末、大正、そして昭和初期にひときわ異彩を放ったのが野沢竹朝(1881―1931)である。本…

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第5回碁界の礎百人―快童丸・木谷實の快進撃【木谷實①】

 大正13年(1924)7月の日本棋院創立からわずか三ヵ月で雁金準一六段、鈴木為次郎六段、高部…

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第4回碁界の礎百人―日本棋院創立と院社対抗戦【本因坊秀哉②】

 集合離散をくり返し、本因坊一門、方円社、裨聖会と三派に分裂していた碁界が激震に見舞われ…

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第3回碁界の礎百人―秀哉名人に迫る精鋭【鈴木為次郎①瀬越憲作①】

 大正11年(1922)雁金準一、鈴木為次郎、瀬越憲作、高部道平各六段が結成した「裨聖会」は、…

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第2回碁界の礎百人―小岸壮二の躍進と急逝【小岸壮二】

 日本棋院創立の前に、もう一度大正時代の碁界状況に触れておこう。大きな動きとして、本因坊…

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第1回碁界の礎百人―田村保寿から本因坊秀哉へ【本因坊秀哉①】

 日本棋院創立を語る前に、明治後半から大正時代の碁界を大急ぎで振り返ろう。  明治後半の覇者は十九世本因坊秀栄である。本因坊一門と方円社の併立時代だったが、秀栄の実力はひときわ傑出しており、明治39年(1906)名人位に昇りつめる。しかし名人就位の祝賀会も行われないまま、翌年急逝。突如として起こったのが後継本因坊問題である。秀栄の遺言では雁金準一を推したとされ、秀栄未亡人も雁金のために運動したものの、これはいささか無理筋だった。当時、田村保寿(やすひさ)は七段、雁金は六段。実

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