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第5回碁界の礎百人―快童丸・木谷實の快進撃【木谷實①】

 大正13年(1924)7月の日本棋院創立からわずか三ヵ月で雁金準一六段、鈴木為次郎六段、高部道平六段、加藤信六段、小野田千代太郎五段の五人が日本棋院を脱退して棋正社をつくった事情は分かりにくい。しかも二年足らずで鈴木が、続いて加藤が日本棋院に復帰して、棋正社は三人だけになる。ここで動いたのが策士といわれる高部である。高部は読売新聞社社長の正力松太郎に日本棋院と棋正社の対抗戦=院社対抗戦の企画を持ち掛ける。院社対抗戦は紆余曲折があったものの、本因坊秀哉や日本棋院副総裁大倉喜七郎の許諾を得て成立。第1局が前回紹介した秀哉―雁金戦だった。
 第2局以降の敗退戦(勝ち抜き戦)でめざましい活躍を見せたのが橋本宇太郎四段、林有太郎五段、向井一男四段ら、棋院の中堅や若手だった。その筆頭が快童丸と呼ばれた当時18歳の木谷實四段である。

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