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第6回碁界の礎百人―硬骨漢野沢、十番碁に斃(たお)れる【野沢竹朝】

 明治末、大正、そして昭和初期にひときわ異彩を放ったのが野沢竹朝(1881―1931)である。本因坊秀栄に師事し、二十代で『時事新報』、『万朝報紙』の勝ち抜き戦に10連勝や5連勝を成し遂げ、常勝将軍と呼ばれるようになった。
 野沢の運命を大きく変えたのが「評の評」事件だった。大正7年(1918)創刊の『囲碁評論』で「評の評」を担当し、本因坊秀哉ら高段者の打碁講評に対して、遠慮のない評や批判を加えた。これが秀哉の怒りを買い、坊門から破門されてしまう。しかし野沢は「私の師は秀栄先生であって、秀哉ではない」と、意に介さなかったという。その後の野沢は肺患のため神戸に隠棲する。野沢を再び第一線に呼び戻したのは、院社対抗戦で劣勢に立たされた棋正社だった。棋正社は五段の野沢を六段に、さらに七段に進めて、院社対抗戦に出場させる。成績は4勝4敗。向先が6局、向二子が2局の手合を考えれば野沢の善戦だろう。

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