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第3回碁界の礎百人―秀哉名人に迫る精鋭【鈴木為次郎①瀬越憲作①】

 大正11年(1922)雁金準一、鈴木為次郎、瀬越憲作、高部道平各六段が結成した「裨聖会」は、大きな波紋を巻き起こした。裨聖会が採用した総互先制や持ち時間制(16時間)、定められた時間になったら手番の者が打掛ける制度(それまでは上手が好きなときに打掛けた)などは当時として画期的なことだった。
 裨聖会の設立で最も打撃を受けたのは方円社だった。後継本因坊争いに敗れた雁金は一時、坊門からも方円社からも離れていたが、請われて方円社に復帰。実質的に方円社のナンバーワンである。鈴木は先で本因坊秀哉に2局の勝ち越し、瀬越は1局の勝ち越しがある実力派。三人が抜けて弱体化した方円社は坊門に接近し、大正12年の中央棋院設立へと至る。しかし中央棋院もわずか三ヵ月で分裂。こうした集合離散を一挙に終わらせたのが、同年9月1日の関東大震災だった。以後、碁界は裨聖会を含めた三派鼎立時代から日本棋院創立へと突き進む。

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