第57回碁界の礎百人―珍事! コウダテしないで……【石田芳夫②梶原武雄】
昭和46年(1971)は22歳の石田芳夫が驚異的な足跡を残した年であった。19歳の武宮正樹を挑戦者に迎えた日本棋院選手権五番勝負は3―0のストレートで防衛(第3局のとき武宮は20歳に)。続いて本因坊戦リーグとプロ十傑戦トーナメントを勝ち抜き、本因坊戦は挑戦者に、プロ十傑戦は決勝五番勝負に進む快進撃を見せた。両棋戦は日程が重なり、若い石田も閉口したという。ここではまずプロ十傑戦を紹介しよう。
石田にとって梶原武雄は第二の師である。木谷道場のある地名をとって、三栄会なる研究会で梶原は木谷門の若手を鍛えた。梶原の前で打碁を並べるのだが、意に染まない手には、「荷物をまとめてくにに帰れ」と怒られるのは序の口。びんたが飛ぶこともあったとか。
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