第2回碁界の礎百人―小岸壮二の躍進と急逝【小岸壮二】
日本棋院創立の前に、もう一度大正時代の碁界状況に触れておこう。大きな動きとして、本因坊秀哉に迫る中堅陣が現れたことに注目したい。たとえば方円社の鈴木為次郎である。大正3年(1914)鈴木は名人になったばかりの秀哉と十番碁を戦い、二子から先二、さらに定先へと進んだ。同年から翌年にかけて『万朝報』主催の棋戦で二度も先で秀哉を破っている。同じく方円社の瀬越憲作も先で一局の勝ち越しがある。
中堅陣だけではない。二十歳前後の小野田千代太郎、小岸(こぎし)壮二らが相ついで頭角を現す。とくに小岸は大正6年から9年にかけて、『時事新報』の囲棋新手合で32人抜きの快挙をやってのける。
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