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『棋道web』週間マガジン(1月6日~)

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1週間分の棋戦情報や上達に役立つ講座を始め、コラムなどがまとめてあります。週10記事以上、更新します。
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#読み物

第86回碁界の礎百人―大逆転、小林光一の大三冠ならず【小林光一⑤趙治勲⑧】

 小林光一VS.趙治勲のライバル対決が最も人気を呼び、注目を集めたのは、平成2年(1990)か…

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【筑波大学】前田良二八段の「囲碁で培う思考力」

 「ミライを育てる」の第3回は筑波大学の開講授業「囲碁で培う思考力」を紹介する。  前田…

第11回碁界の礎百人―秀哉名人最後の勝負碁【本因坊秀哉③呉清源①】

 昭和碁界に偉大な足跡を残した呉清源(本名は泉=せん、清源は成人後につけた字=あざな)は…

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基礎知識を身につけよう その4【整地の仕方1】

 インターネット対局の普及により、碁盤を使っての対局が減っているようです。ネット碁しかや…

第10回碁界の礎百人―碁界最大のスポンサー【大倉喜七郎】

 この欄は棋士だけにスポットライトを当てるわけではない。碁界の発展に尽くした政財界人、囲…

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第9回碁界の礎百人―東西両横綱の激突【鈴木為次郎②瀬越憲作②】

 日本棋院創立で最も割を食ったのは鈴木為次郎と瀬越憲作かもしれない。鈴木が先で本因坊秀哉…

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第8回碁界の礎百人―東の喜多、西の吉田【吉田操子】

 喜多文子の次は吉田操子(みさこ、旧姓井上、1881―1944)を紹介しないわけにはいかない。ともに女傑と呼ばれ、日本棋院創立に尽力したのも同じだ。  京都に生まれ育った吉田は十代半ばで本格的に碁を志し、しばしば東京に出て本因坊秀栄、本因坊秀哉に師事した。頭山満に目をかけられたことも喜多と同じである。18歳で入段、25歳で二段に昇って結婚し、しばらく碁から離れたのも喜多に似ている。夫の早世で復帰して34歳三段、41歳四段。  大正12年(1923)は初代本因坊算砂の三百回忌。

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