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囲碁の始まりはいつ、どこだったのでしょう。 中国には、紀元前2350年頃、伝説の王、堯帝…
明治から大正、昭和初期に活躍し、〝女流碁界の母〟と呼ばれた喜多文子は、明治8年(1875)…
大会では運営上、持ち時間が決まっているのが大半です。持ち時間がどれくらいか、時間が切れ…
明治末、大正、そして昭和初期にひときわ異彩を放ったのが野沢竹朝(1881―1931)である。本…
碁が楽しくなってくると、盤上の技術のことだけでなく、道具についても知りたくなるでしょう…
大正13年(1924)7月の日本棋院創立からわずか三ヵ月で雁金準一六段、鈴木為次郎六段、高部…
互先(たがいせん)において、対局者のどちらが黒、どちらが白を持つかは、握り(にぎり)という方法によって決められます。 そのやり方を説明しましょう。 ①どちらが握るかを決める 対局する二人で「どちらが握るか」を決め、握る方が白、もう一方は黒を一旦持ちます。慣習では、目上の方が握ります。 ②握る方は白石をつかみ、隠しながら碁盤の上へ 握る方は、碁笥(ごけ)に片手を入れて白石をいくつかつかみ、手のひらで隠しながら碁盤の上に置きます。握る石数は自由です。十個近くから十
集合離散をくり返し、本因坊一門、方円社、裨聖会と三派に分裂していた碁界が激震に見舞われ…
様々な詰碁を創作している河野臨九段に、詰碁の内容を中心に特別インタビューを行った。「詰…
対局の心得を学べる代表的なものとして、囲碁十訣があります。 中国・唐の時代の名手、王…
大正11年(1922)雁金準一、鈴木為次郎、瀬越憲作、高部道平各六段が結成した「裨聖会」は、…
置碁(おきご)は、棋力の違うもの同士が対等に戦うことを可能にする素晴らしい方式です。下…
日本棋院創立の前に、もう一度大正時代の碁界状況に触れておこう。大きな動きとして、本因坊…
囲碁はその奥深さと長い歴史から、さまざまな別称が生まれました。 代表的なものを紹介しましょう。 爛柯(らんか) 爛はただれる、くさる、柯は斧(おの)の柄(え)のこと。中国の故事が由来です。 中国・晋の時代、王質という木こりが山に入ると、童子たちが楽しそうに碁を打っていました。王質は傍らによって眺めだします。すると童子からナツメの実のようなものを渡され、「これを食べればお腹がすきません」と言われました。王質は空腹になることなく、碁に夢中になりました。 童子に「なぜ