マガジンのカバー画像

『棋道web』週間マガジン(12月30日~)

36
1週間分の棋戦情報や上達に役立つ講座を始め、コラムなどがまとめてあります。週10記事以上、更新します。
1週間分の棋戦情報や上達に役立つ講座を始め、コラムなどがまとめてあります。週10記事以上、更新しま…
¥550
運営しているクリエイター

#読み物

囲碁雑学 その4【囲碁の起源】

 囲碁の始まりはいつ、どこだったのでしょう。  中国には、紀元前2350年頃、伝説の王、堯帝…

第7回碁界の礎百人―〝女流碁界の母〟喜多文子【喜多文子】

 明治から大正、昭和初期に活躍し、〝女流碁界の母〟と呼ばれた喜多文子は、明治8年(1875)…

110

基礎知識を身につけよう その3【対局時計の使い方】

 大会では運営上、持ち時間が決まっているのが大半です。持ち時間がどれくらいか、時間が切れ…

第6回碁界の礎百人―硬骨漢野沢、十番碁に斃(たお)れる【野沢竹朝】

 明治末、大正、そして昭和初期にひときわ異彩を放ったのが野沢竹朝(1881―1931)である。本…

110

囲碁雑学 その3【道具のお話】

 碁が楽しくなってくると、盤上の技術のことだけでなく、道具についても知りたくなるでしょう…

第5回碁界の礎百人―快童丸・木谷實の快進撃【木谷實①】

 大正13年(1924)7月の日本棋院創立からわずか三ヵ月で雁金準一六段、鈴木為次郎六段、高部…

110

基礎知識を身につけよう その2【黒と白の決め方】

 互先(たがいせん)において、対局者のどちらが黒、どちらが白を持つかは、握り(にぎり)という方法によって決められます。  そのやり方を説明しましょう。 ①どちらが握るかを決める  対局する二人で「どちらが握るか」を決め、握る方が白、もう一方は黒を一旦持ちます。慣習では、目上の方が握ります。 ②握る方は白石をつかみ、隠しながら碁盤の上へ  握る方は、碁笥(ごけ)に片手を入れて白石をいくつかつかみ、手のひらで隠しながら碁盤の上に置きます。握る石数は自由です。十個近くから十

第4回碁界の礎百人―日本棋院創立と院社対抗戦【本因坊秀哉②】

 集合離散をくり返し、本因坊一門、方円社、裨聖会と三派に分裂していた碁界が激震に見舞われ…

110

詰碁勉強のコツ【河野臨九段インタビュー】

 様々な詰碁を創作している河野臨九段に、詰碁の内容を中心に特別インタビューを行った。「詰…

220

囲碁雑学 その2【囲碁十訣】

 対局の心得を学べる代表的なものとして、囲碁十訣があります。  中国・唐の時代の名手、王…

第3回碁界の礎百人―秀哉名人に迫る精鋭【鈴木為次郎①瀬越憲作①】

 大正11年(1922)雁金準一、鈴木為次郎、瀬越憲作、高部道平各六段が結成した「裨聖会」は、…

110

基礎知識を身につけよう その1【置碁】

 置碁(おきご)は、棋力の違うもの同士が対等に戦うことを可能にする素晴らしい方式です。下…

第2回碁界の礎百人―小岸壮二の躍進と急逝【小岸壮二】

 日本棋院創立の前に、もう一度大正時代の碁界状況に触れておこう。大きな動きとして、本因坊…

110

囲碁雑学 その1【囲碁の別称】

 囲碁はその奥深さと長い歴史から、さまざまな別称が生まれました。  代表的なものを紹介しましょう。 爛柯(らんか)  爛はただれる、くさる、柯は斧(おの)の柄(え)のこと。中国の故事が由来です。  中国・晋の時代、王質という木こりが山に入ると、童子たちが楽しそうに碁を打っていました。王質は傍らによって眺めだします。すると童子からナツメの実のようなものを渡され、「これを食べればお腹がすきません」と言われました。王質は空腹になることなく、碁に夢中になりました。  童子に「なぜ